~ Your sight, my delight ~ 3






「・・・小太郎は、さっきの奴が好きなの?」

思わぬことを言われて戸惑う。
どうして俺が、今日初めて会ったような奴のことを?・・・と馬鹿々々しくなるくらいだけど、健太郎は至極真面目だ。なんでそんな風に思ったりするんだろう。

「小太郎、最初は嫌がってなかった。あいつのこと。・・・ううん。どっちかというと喜んでたみたいだった。だから俺、どうしたらいいか分からなくて・・・。小太郎があいつといるのは嫌だし、小太郎のこと呼び戻したかったけれど、でももう、これ以上嫌われるのはイヤだって・・・・そう、思ったら」

どうしていいか分からなくなった・・・って健太郎は言う。

力なく俯く健太郎に、俺は何て言っていいか分からなかった。確かに始めは嫌じゃなかった。だって、今の俺はそういう時期なんだ。そういう時期に入りかけたところなんだ。
でもそんなこと、健太郎に知られたくなかった。気付かれたくなかった。
健太郎はまだ子供だから、俺からしている『いい匂い』が何なのかもちゃんとは分からないようなガキだから、多分、正確にはあの犬が何をしに俺のところに来たかなんて分かっていないだろう。だけどそれでも、俺はもっと気を付けるべきだった。迂闊だった。

それからもう一つ、健太郎の言葉で引っかかっていることがある。『これ以上嫌われる』って、一体どういう意味なんだ。
確かに最近は邪険にしていたけれど、健太郎を嫌ったことなんか一度だって無い。だって俺は、母犬代わりなんだから。健太郎が何をしたって、俺だけはお前の味方なんだから。

そう健太郎に言ってあげなくちゃ、って思うのにどうしても言葉が出てこない。健太郎の目に涙が溜まっているのを見たら、喉元まで何かがせり上がってきて声にならなくなった。
自分が育ててきた子供が待っているっていうのに、なのに大人の俺が何もしてあげられない。
そうしている間にも、健太郎の涙は目の淵にますます盛り上がっていく。

「俺にしてよ、小太郎」

涙混じりの声でふいに告げられて、胸の奥がキュウって絞られるように痛んだ。

「健太郎」
「小太郎、俺にして・・・!俺、ちゃんと大きくなるし、カッコよくなるから・・・だから、俺とケッコンして!小太郎、俺をオムコさんにしてよ!」

そこまで聞いたら俺の思考は真っ白になって、何も考えられなくなってしまった。

「俺は小太郎が好きだよ!小太郎しかいらないよ!小太郎、お願い!俺とケッコンしてよ!・・・俺以外の奴をオムコさんにしたら、嫌だあ!」

とうとう健太郎はわんわん泣き始めた。いかにも子供が泣くように、顔をグシャグシャにして、盛大にしゃくり上げて。
ママさんたちは健太郎が痛くて鳴いていると思ったらしく、オロオロしている。「やっぱり痛いのよ!早く病院に連れていって!先生が寝てても叩き起こして!」なんて姉ちゃんは叫んでいる。

「すぐに大人になるから!だからそれまで、待っててよう!」

健太郎は泣きながらも、一所懸命に俺に訴えていた。


馬鹿だな、健太郎       俺は心の中で悪態をついた。
お前は馬鹿だ。なんで俺なんだよ。行儀が悪いだの何だのケチつけるくせに、そんなのがいいのかよ。お前だったら、大人になったらいくらだって可愛いメスが寄ってくるんじゃねえのかよ。大人しくてオンナノコらしいメスがさ。

だけど、もっと馬鹿なのは俺の方だ。本当に救いようがないくらい。今になって分かるなんて、どうしてこうも間抜けなんだろう。

『お婿さん』は、健太郎がこの家に来た日に小次郎が口にした言葉だ。だけど健太郎は赤ん坊だったから、そんなの意味も分からなかっただろうし、そもそも忘れていると思っていた。
だから俺は安心して母親代わりをしてきたんだ。なのにこうして健太郎が大人になる日が近づいてくると、それが段々苦しくなってきた。背中にじゃれてくる健太郎の重みを感じながら、何度も何度も「こいつは息子みたいなものなんだぞ」って自分に言い聞かせた。「赤ん坊の頃から育ててるんだぞ」って。

だけど、そんな風に自分を誤魔化す必要はなかったんだ。健太郎はまだまだガキだけど、俺の子供なんかじゃない。俺のことを母親だとも思っていない。それどころか、俺と結婚したがっているんだ。俺のことを他の雄犬に渡するつもりなんか、端から無いんだ。
だからいつも『女の子でしょ』って、口を酸っぱくして言っていたんだ。そのことがようやく分かる。無防備な俺のことを心配していたのかもしれないけれど、あれは健太郎なりのアピールでもあったんだ。「ちゃんとここにも雄犬がいるんだよ」って、そう言いたかったんだ。


健太郎は鼻をグズグズ言わせて、ママさんに大人しく抱かれて連れていかれようとしている。一旦家に戻っていた兄ちゃんが、「先生に電話したら、すぐに連れて来いって!父さんが車出してるから、早く乗って!」って走ってきた。

白い毛に赤い血を飛ばして、さっきよりもくったりとしてきた健太郎。どうしよう。このまま健太郎と会えなくなったりしたらどうしよう。俺は急に怖くなった。

ダッシュして、健太郎を抱っこして歩くママさんの足元に纏わりつく。ちょっとだけ待って、ママさん、って。お願いだから、健太郎の顔を見せて。

「健太郎」

ママさんが少しかがんでくれたから、俺は鼻先を健太郎に寄せた。顔を舐めてやる。健太郎は俺に舐めて貰うのが大好きだから。

「健太郎、ちゃんと戻って来いよ。このまま帰ってこなかったら許さないからな。ちゃんと帰ってきたら、そうしたら・・・お婿さんのこと、考えてやるから」

一息にそれだけ告げると、健太郎の目が驚いたように真ん丸になった。「ほ、ほんと!?ほんとなの!?」って何度も繰り返す。「二言はねえよ」と答えると、健太郎は花が咲くように笑った。
それからみんなは、パパさんの運転する車で病院に向かった。

後に残されたのは兄ちゃんと俺だけ。
庭で呆けたように座る俺の前に兄ちゃんはしゃがみ込んで、優しく頭を撫でてくれた。

「大丈夫だよ、小太郎。健太郎は男だからな。多少の傷くらい、どうってことない。あっという間に治るよ。それよりも身体を張ってお前のことを守ってくれたんだから、帰ってきたらまずそのことを褒めてやろうな」
「・・・クウン」

うん。

この家の人間はみんな優しい。姉ちゃんも兄ちゃんもママさんも、ちょっと怖く見えるパパさんだって。それに、健と小次郎も。
でも誰よりも俺のことを好きでいてくれるのも、大事に思ってくれるのも、健太郎だ。そのことを俺は知っているのに、冷たくもしたし、邪魔者扱いした。ちゃんと謝ろうと思う。








ママさんたちは2時間ほどして戻ってきた。健太郎の傷は出血の割には小さかったって、ママさんがホっとした顔で教えてくれた。タオルに包まれた健太郎は眠っていて、子供らしくあどけない寝顔を見せていた。

「今日は健太郎は玄関で寝せるからね」とママさんが言って連れていこうとするので、分かった、と返事をすると、兄ちゃんが「小太郎も一緒でいいんじゃない?」って言ってくれた。

「小太郎が抜けだしたってことは、どこかに出入り口を作ったってことだろ?小太郎だけにしておくと、他所の犬がそこから入り込んでくるかもしれない。塞ぐまでは、家に入れておいた方がいいよ」

・・・兄ちゃんって、こういうところ結構鋭い。他の人が気が付かないようなことに気が付いてしまうんだ。

「そうねえ・・・。こんなことがあるまでは可哀想だし、って思っていたけれど、避妊手術も考えた方がいいかもしれないわね」

うん。
俺、どんな罰でも受けるよ。だって俺のせいで、健太郎が怪我をした。

「今はまだ駄目よ。だってこーちゃん、健太郎と小太郎に子犬が出来るのを楽しみにしているんだから。いつかは受けるにしても、まだ早いよ。子犬を作ってからじゃないと」
「そうよねえ。健ちゃんとこたちゃんの子なら、ママも見たいわねえ」
「でしょ?・・・とりあえず明日は庭の総点検しないとね。せめてこっちの庭だけでも穴は塞いでおかないと」

ママさんと姉ちゃんと兄ちゃんは、色々と相談をしている。俺だって本当は、まだちょっと手術はイヤだなあ、と思う。だって子犬は嫌いじゃない。寧ろ可愛いと思う。健太郎で子育ても練習したし、いつ出来ても大丈夫だという自信もある。
ただ申し訳ないけれど、それを健太郎と作るかどうかは、俺と健太郎が決めることだと思う。

ママさんたちは話をしながらも、玄関の内側に俺と健太郎の寝床を用意してくれた。それから健太郎をそっと毛布の上に寝かせる。包帯を巻かれた姿がとても痛々しかったけれど、それでも健太郎自身はいい夢でも見ているのか、その寝顔はうっすらと笑っていた。そのことに俺は少しだけ安堵する。

ママさんたちがいなくなってから、俺も健太郎の隣に身を横たえた。身体の傷に触らないように気を付けて、ゆっくりと。
それから健太郎の鼻に自分の鼻をくっつけて、おやすみの挨拶をしてから眠った。











「小太郎!一緒に遊ぼう!」
「・・・へいへい」

次の次の日にはもう、健太郎はすっかり元気になっていた。エサも沢山食べるし、機嫌も良く、よく喋る。身体を動かす度に傷は痛むようで飛び上がっていたけれど、それもすぐに回復しそうだった。何しろ健太郎は若いんだ。

そして何よりも健太郎の機嫌がいい理由。

「小太郎。俺が病院から帰ってきたら、オムコさんのこと考えてくれるって言ったよね?言ったよね?言ったよね!?」

庭に寝そべる俺に後ろからのしかかって、しつこく聞いてくるのはこれまでどおり。通常運転の健太郎だ。
俺は考えてやる、と言っただけで、別にお婿さんにしてやると言った訳じゃない。それなのに健太郎は、俺が承知しないだなんて頭は全く無いようだった。
そもそもの原因が俺だとしても、あれだけ心配かけたくせに・・・と、能天気なツラを見ていると段々と腹立たしくなってくる。
だから俺はちょっとした意趣返しをしてやることにした。

寝そべったままでチロ、と流し目をくれてやる。いわゆるアレだ。誘ってる顔ってヤツだ。
途端に健太郎の頬が仄かに赤く染まる。

「あ、あの!・・・あのね、小太郎・・!」
「健太郎は、もう子供じゃないんだよな?俺のお婿さんになりたいんだもんな?じゃあ、そうやって纏わりついてキャンキャンわめくだけじゃなくって、どうやって俺にお願いすればいいか分かるよな?」
「・・・う、うん」
「どうすんの?」

健太郎はまだ子供だ。気持ちだけは立派に雄犬でも、どうやって求愛するのかなんて知らないだろう。
初めてのことに戸惑って狼狽えて、でも興奮して期待に胸がドキドキしているのが手に取るように分かる。

俺が意地悪くニヤニヤして見守っていると、ゆっくりと顔を近づけてきた。ふるふると小さく震えているのが可愛い。
ペロ・・・と俺の口を舐めて、健太郎はすぐに離れようとする。その首根っこを抑えつけて、今度は俺が健太郎を追いかけてその口をパクリと大きく甘噛みした。
健太郎の体が跳ねるほどに大きく揺れて、声も出ないほどに驚いているのが伝わってくる。

「健太郎」
「は、はいッ!な、何でしょうか!」

背筋も尻尾もピンと伸ばして、上ずった声で返事をする。なんで敬語だよ。お前、面白すぎるだろう。

「好きだよ、健太郎。こうなったらしょーがないから、お前をお婿さんにしてやるよ」
「・・・小太郎!」

ぱあーって歓びにはちきれんばかりの笑顔になって、健太郎が俺に抱きついてくる。それを受け止めて、俺はよしよしと頭を撫でてやった。
それからとびきり甘い声を作って、「なあ、健太郎」って、とんがり三角の愛らしい耳に囁く。

「子供は何匹くらい欲しい?頑張って、いい子を沢山つくろうな」

『頑張って』を強調してみれば、健太郎は今度こそ真っ赤になって地べたにへたりこんだ。
年上で性悪で奔放な俺を嫁にしようってんだ。苦労は覚悟しろよ          地面に懐く健太郎を眺めて、俺はしてやったり、とほくそ笑んだ。










END

2016.06.12

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